アラフォー男のうつ病闘病記

アラフォー男性のうつ病闘病記です。病気のこと、気になったこと、趣味についていろいろと語っていきたいと思います。おっさんと言っていい年齢の男の復活劇(になるはず)なので、良ければ読んでいってください。

私に起きた事…

病院編
私は今でこそ、うつ病を患い、仕事もできない身ではあるが、以前は大手企業に正社員として勤めるサラリーマンだった。
仕事は順調、上司からの評価も上々で、次のステップへの昇進の話もいただけるなど、今後の順調な展望も見えていた。
また、仕事人間であったが、プライベートも大切にしていた。休日は会社に併設してあるジムに通い筋トレをする、またロードバイクでの長距離サイクリング、サイクリングイベントへの出場と多様な趣味生活を送る、まさにこれでもかと充実した日々。充実した人生。
心身ともに健康そのもの。
病気などとは無縁の若々しい肉体を保っていた。
そんな自分が、たった一本の電話で全て破壊されるとは露ほども思っていなかった。
それは唐突に訪れた。
2018年4月12日、私はその日の仕事を全て終え、コーヒーを片手に仲間と談笑を楽しんでいた。
次の日の予定、計画、バカみたいな冗談話。
タバコの煙で煙った喫煙室で色々な会話を楽しんでいた。
それが当たり前のように。
何食わぬ日常。
幸せな日常。
いつもと変わらぬ風景。
順調な人生。
これからもずっとこんな充実した、楽しい日々が続くのだろう。
仕事と家庭を両立した、理想的な人生が続くのだと、そんなことを無意識に感じるような一日だった。
あの電話が鳴り響くまでは。
唐突な着信メロディー。
談笑している私のスマホが鳴り出した。
「なんだ?こんな時間に。」
と不思議に思い、画面を確認したら父からの電話だった。
「なに?どうしたん?なんかあった?」
と、ごく自然に、あっけらかんと応答する私。
しばらく応答がない。
「もしもし!もしもーし!なんだ?もしもーし!」
そんな問いかけをしている内に気が付いた、受話器越しに物音だけが聞こえる。
何かともみ合うような音、私は嫌な予感にかられた。
その後、父が電話に出た。
うまくしゃべれない、くぐもった父の声。
私はその声の主が父だと認識できず、間抜けにも
「え?だれ?」
などと答えていた。
やはりくぐもった声で、うまくしゃべれない様子で父が答える。
「と、父さんじゃ!か、母さんが刺されたけぇ!」
言われたことを理解するのに数瞬の間が必要であった。
何を言っているのかわからなかった。
理解できなかった。
ただの冗談だと思った。
私は半笑い、でも少しひきつった表情で
「え、なんで?」と答える。
これも全く間抜けな返答であった。
父が慌てた様子で、必死な声で答える。
「とにかく!か、帰ってきてくれ!すぐ!今警察と救急車呼んだけぇ!」
そこでようやく事が尋常な事態ではないのだと私は悟ったのだ。
母が刺された、何で?誰に?何が起きてるんだ?
そんな事ばかりグルグルと考えていたように思う。
今思えば、まったくバカな自分に辟易とする。
少し考えれば何が起こっているのか、誰が刺したのかわかったはずだ。
自分はこの時点でおおよその事態を想像できていたはずだ・・・。
その後はどうしたらいいかわからない。
頭がパニック状態だった。
「なんだ?なんなんだ?どうすればいい?どうすれば!」
私の頭は混乱状態にあった。
とりあえず電話を切り、その場にいた全員に対して、
「母が刺されたって電話があったんだけど・・・どうしよう・・・」
などと言っていた。
どよめきの後、静まり返る一同。誰も事態を理解できていない、そんなこと日常ではありえないからだ。
普通に暮らしていればまずそんなことには遭遇しないだろう。
そのくらいの事態だった。
私はとにかく落ち着こうと禁煙中だったにもかかわらず、同僚に
「ごめん、タバコを一本くれないか?」と言う。
同僚は、「っ!いいよ、吸って落ち着こう!」といい、タバコを差し出す。
禁煙中だったにもかかわらず、もらったタバコを咥え、紫煙を吐く。
「スゥゥ・・・フゥゥ・・・」
長い溜息を吐き、ひとまずどうしようか思案するだけの心の余裕が持てた。
しかし頭の中は「どうしよう!どうしよう!どうすれば!どうすれば!」でいっぱいだった。
思考がまとまらない。
まごまごしている私に同僚が「とにかく!帰ろう!ここはもういいから!あとは任せて!」と言う。
そこで私はようやく「帰らねば!」と言う思考に行きついた。
次は帰る手段だ。
当時、都市部に住んでいた私は車を所有していなかった。隣県である実家に帰る足を思案しなければならなかった。

「電車は論外だ・・・新幹線で帰るか?いや、待つ時間が惜しい!・・・そうだ、レンタカーが近くにあった!」
そう思い立つや否や、私は同僚、上司に帰ります!とだけ告げて急いで会社を後にした。事情は帰りながら電話で話した。
職場近くのレンタカーショップまで走る。
息を切らせながら無心に走る。
都合よくレンタカーの会員になっていた私はスマホでその場で使える車を予約し、車にカードをかざして認証し、乗り込んで車を走らせた。
都市部を抜け、信号と帰宅ラッシュにイラつきながら何とか高速道路に入る。
高速道路を無心で飛ばしながら私はまだ現実感を持てていなかった。
「冗談じゃないのか?・・・なんだかんだいって、大したことじゃないんじゃないか?」
そんな思いが頭をちらつき始める。
自分の日常にそんなことが起こるわけないじゃないか。母が死ぬ?ありえないことだ。どうせちょっと怪我したくらいで済んでるに決まってる・・・
最悪の結末を信じたくなかった。私はそう思っていた。
実家までちょうど半分くらいの距離まで車を飛ばしていた時、また父からの電話が鳴り響く。
私は褒められたことじゃないが通話しながら運転していた。
緊急事態だ。出ないわけにはいかなかった。
嫌な予感がする。
胸がもやもやした嫌な気分。
「母さんは総合病院に運ばれたけぇ!刺したのは大輔(弟)じゃ!病院に直接来てくれ!」
父はそう言って電話を切った。
考えたくなかった。
心の奥ではわかっていた。考えていた最悪の事態だった。
当時弟が統合失調症を患っていたのは聞いていた。ひどい状態で入退院を繰り返し、家では暴れることもあった。
父や母への暴力も日常的にあるようだった。
「誰かが俺を見ている!監視している!オレは殺される!」
「父さんも母さんも俺を自殺に追い込もうとしている!命が危ない」
などと、支離滅裂な言動を繰り返していた。
弟が病気を発症したのはこの時から12年をさかのぼる。
「オレは頭がおかしくなった!」と言い始め、大学に行かなくなり、中退した。
その後、港湾作業員として働きだすも、突然「兄貴を昔殴った奴が職場にいる。あいつと一緒には仕事できない!絶対間違いない!」と言い出し、その場で職場を去った。当然解雇された。
父は「何を馬鹿なことを言ってるんだ!頭がおかしくなったっていう暇があるんなら真面目に働け!」と訴えを一蹴した。
父は何とか働かせようと、家業であった商店の手伝いをさせていた。
しかし全く仕事にならない。
これが弟の病状を最悪の状態まで悪化させる要因となった。
初期の段階で病院にかかっていればこうはならなかったかもしれない。
父と母が病気に気付いた時にはもう手の施しようのないほど悪化していた。
奇行も日常茶飯事だ。
何やらノートに書いたようだが、その内容は「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
ひたすら殺すと書きなぐられていた。
無差別に人を殺すとまで書いてあった。
私はそれを覗き見て、戦慄したのを覚えている。
そういう事情もあって、ちょうど1年前までは私は転勤を断り、実家近くに住んでいたのだ。
その間も大輔は入退院を繰り返し、父が言うには、手を焼いた病院側が病院をたらいまわしにするような状態だったという。
ありえないことだが、医師が匙を投げたのだと聞いた。
もう手の施しようがないと。
しかし、母が「いつまでも入院させてばっかりじゃ大輔がかわいそうじゃけぇ、もう治らんなら家で面倒見ようやぁ」と父に言い。
父が病院側に退院可能かと問い合わせたところ、退院可能と診断され、退院してくることになった。
私はそれを聞き、父と母に「本当に大丈夫?」と尋ねた。
「大丈夫じゃけぇ、任せてあんたは出世しぃね。」と言われ、私はキャリアアップのために転勤を受け入れた。
私のキャリアは順調だった。
その判断が、まさかこんな事態になろうとは・・・
しかしまだ私は頭の中で
「あの豪放磊落な母がそう簡単に死ぬものか!何とか生き延びてくれるに違いない!」
そう思っていた。
母は派手好きで陽気で、みんなに好かれる人間だった。殺しても死なない。そんなイメージがぴったりの人だ。
だから私は母が死ぬなんて想像もできなかったし、信じたくなかった。
しかし焦る気持ちは私を急がせ、これもまた褒められたことじゃないが、高速を限界ギリギリで飛ばしながら搬送先の病院へ向かった。
会社を出たのが18時半。
病院に着いたのは20時過ぎだったと記憶している。
病院に到着し、中に入るが、時間が時間だけに誰もいない。
受付にも通路にも看護師も医師も一人もいない。
私はイライラする気持ちを抑えながら父を探す。
父の居所を探しながら病院中を走り回っていたら大怪我をした父と出会った。
もう治療は済ませていたみたいで大丈夫そうではあったが、あちこち骨折しているようだった。
体重100キロを超える、柔道2段の大男との格闘だ。
無事で済むはずがない。
私が口を開こうとしたまさにその時、父の口から事実を告げられた。
「母さん死んでしもうた・・・。」
絶句した。意味が分からなかった。理解できない。
「一体何を言ってるんだ・・・?」
「何だって?死んだ?母さんが?」
私の頭は真っ白になっていた。事実がうまく呑み込めない。
うまく呑み込めないものだから怒りも悲しみもわいてこない。
父も嘆くでもなく、怒り狂うでもなく、どこか淡々としていた。
そんなところに一番下の弟である宗次が到着した。
やはり自分と同じような反応だった。
事態が呑み込めず、淡々としている。
誰一人として事実を飲み込めた者などいなかったのだ。
母はどこかを私が尋ねた。
今は警察が司法解剖のため警察の安置所に運んでいるから会えない、これから事情聴取と証拠物品の確認がある、とだけ父から告げられた。
病院で警察の対応を待っている間、待合室の椅子に座っていた。
目の前に、今まさに出産しようとする妻を待つ男性がいた。
「皮肉なもんだなぁ・・・」
と独り言ちる。

警察編
待合室で2時間ほど待っただろうか。
ずいぶんと長く感じた2時間だった。
目の前にいた出産を待つ男性は無事、看護師に呼ばれていった。
嬉しそうな顔で。
片や失われた命を飲み込めないでいる。
片や生まれ来る命に喜びを感じる。
ずいぶんと対極的な対比ではないか。
警察を待つ2時間の間、誰も一言も発しなかった。
無音、静寂、空調の機械音だけがよく聞こえるほどの静けさ。
父も宗次も私も、何とか、このあまりに悲劇的で、衝撃的な事態を心の中で消化しようと、飲み下そうと悪戦苦闘していたに違いない。
その静寂を打ち破るように、おもむろに父が口を開いた。
「何でこんなことのなってしもうたんかのぉ・・・」
後悔、自責、情けなさ、不甲斐なさ、悲しさ、悔しさ、怒り、そんな感情をミキサーにかけたような呟きだった。
私達は息子として何も言えなかった。
何もかける言葉も見つからなかった。
言えるわけがない。今の父の、夫としての心中など計り知るすべを持っていなかったのだから。
ただ自分の中には自分を責め続ける自分がいた。
「なんで親元を離れた!大輔の病気のことは知っていたはずだ!状態が悪いのだって知っていたはずだ!退院して自宅に戻れば少なからず何かあるだろうってわかってたはずだ!何でキャリアを選んだ!」
そう自分を責め続けていた。
後悔しても悔やんでも、もう母は帰ってこない。もう会えない。
自分がいれば、あの時転勤しなかったら、全てたられば話だ。
意味がない。
決して私のせいではない。私が悪いのではない。
悪いのは大輔だ。他の誰にも罪はない。
それはわかっている。
でも自分を責めずにはいられなかったのだ。
この気持ちは後々私に悪影響を及ぼし続ける事になる。
うつ病を悪化させる要因の一つになった。いわゆるトラウマだ。
そんな思いを抱えながら悶々としばらく待ったが、なかなか警察はやってこない。検死に時間がかかるのだろう。
時刻は23時を回ろうとしていた。
しびれを切らした私は、ただじっと思い悩みながら、自分を責めながら時が過ぎるのを待つことに耐え切れず、父に言った。
「父さん、気分転換にタバコでもいかんか?」
何が気分転換だ。我ながらふざけたことを言っている。転換できるような気分ではないはずだ。わかっている。
父は「いこうか・・・」とボソリと答えた。
病院の外にあった喫煙所で親子3人、人目もはばからず、座ってコーヒーを片手にタバコを吹かしていた。
涼しげな夜風が吹いていた。空には雲もなく、月がよく見えた。町明かりで星は見えなかったが。
誰も何も語らない。ただただスゥ・・・ハァ・・・とタバコを吹かす。
大きく、ため息代わりに。
私はもう禁煙していたことなどどうでもよくなっていた。
何本も何本も吸い続けた。
決してやってこないであろう安堵感を求めるように。
喪失感、虚脱感、絶望感、そんな感情が私たち3人をすっぽりと包み込んでいたかのようだった。
タバコでも吸わなければやっていられなかったが、タバコを吸ったところで晴れるような気分でもなかった。
しばらくして戻ったところに警察の方がやってきた。
そして一言。「この度はお悔やみ申し上げます。」
淡々とした事務的な語り口調、業務上で言い慣れたような無感情に、ほんの少し憤りを覚えた。私の母の死など面倒な仕事でしかないという事か。
「家族の方、どなたか証拠品の確認をお願いしたいのですが・・・」
これも事務的な語り口調。私のイライラと不信感が募る。
こんなことでいちいち同情するような仕事ではないのだろう。それはわかる。そういう仕事だ。だがせめて人間らしい感情を見せてほしい。
そう思った。
父が「わしは無理じゃけぇ・・・頼んでええかのぉ・・・。」
と力なく父が言うので、長男としての責任感から、私が引き受けた。
宗次と父は再び喫煙所に戻り、私だけが警察の対応をすることになった。
長男として、ここは責任を果たさねば、父を助けねばという意思があった。
警察が大きなバッグから証拠品を出し始める。
私は強烈なショックを受けた。
最初に母の血で黒々とぬめった包丁。いつも母が料理に使っていた包丁だ。
どす黒い血にまみれてぬめり、気味の悪い照り返しを見せている。
次に見せられたのが血まみれの破れた服。胸のあたり、ちょうど心臓を一突きするように服が破れている。
「あぁ・・・これは助からなかったろうな。」と漠然と思った。
さらに、身に着けていた下着類。これらも血で赤く染まっていた。
それらすべてを確認した時に、私の頭は思考をやめていた。
全てが真っ黒に見えた。
今でこそ思い出せるが、しばらくそこの記憶は映像としては真っ黒な状態だった。思い出すことを拒否していたのだろう。
確認し終わった後に、警察が言う。
「では、この書類に指で割り印を押していただきます。」
これも事務的で機械的
「この人たちは、人間として何か欠落しているんじゃないか?」
そう本気で思った。
書類に必要事項を書き、割り印を押し、証拠品の確認は終了した。
どっと疲れが押し寄せる。精神的なショックを受け過ぎたのか、軽く胃がむかむかする。吐き気を催した。
しばらくトイレに入り、呼吸を落ち着けて父達の元へ向かった。
その後、父と宗次と合流したところに、母方の叔父がやってきた。
全員で合流し、母の遺体が安置されている警察署へと移動することになった。取り調べがあるらしい。
警察署の2階にある取調室にそれぞれ別々に入り、取り調べが始まった。
1時間強に及ぶ取り調べが行われたが、正直何を聞かれて、何を答えたか、まるで覚えていない。
自分にとって警察の相手など、どうでもよかったのだろう。
そんな心境ではなかった。
頭の中では「母の顔が見たい。母に会いたい。」
そればかりだった。
本当は司法解剖等が行われるまで会わせてはもらえなかったらしいが、父が頼み込んだ。
父は「なんとか、なんとか会わせてください。顔を見させてください。」
と必死の形相で頼みこんでいた。
警察の方も折れて、「本当に見ますか?いいんですね?」と言っていた。
我々はそろって「かまいません、お願いします!」と答る。
午前2時。
母に会えた。
想像以上の衝撃を受けた。
泣き崩れる父、叔父、弟。
怒りに震える私。
母の顔は無残なものだった。
殴られた場所はブクブクと赤黒く腫れ上がり、唇はざっくりと切れていた。
母に何が起こったのか、大輔に何をされたのかが頭の中で理解できた。
実際に見ていないにもかかわらず、光景がありありと想像できた。
どれだけ殴られたのだろうか、どんな気持ちだったのだろうか・・・。
それを考えた時、私の心がひどく痛んだ。母が哀れでしょうがなかった。
生前の母の面影が無くなった母の顔。
嘆き悲しむ父達とは真逆に、私は涙を流さなかった。
それよりも、頭の芯が凍り付いたような感覚。
感情の一部が鈍麻したような感覚。
そんな状態であった。
ここで嘆き悲しめていればよかったのだと、後々思い知ることになる。
しかし動かない心の中にも、一つ強い感情があった。
ひどい憎しみの感情。どす黒い、さながら煙のような黒いもやもやが私の心に充満していった。
それは憎悪、大輔に対する激烈な憎しみの感情。
「殺してやる!殺してやるぞ!」
これだけがどんどんどんどん膨れ上がっていくのを実感した。
「許さない、絶対に許さない。」
燃え滾るどす黒い感情。
私はそれに支配されていた。
その後、すべての手続きが終わり、我々は解放された。
午前3時を回るところだった。
実家に帰れるはずもなく、近くのビジネスホテルを探す。
なんとか泊まれる場所を探し、私のレンタカーで全員を送った。
なんだかんだ車中で雑談しながら向かったが、心から笑っていた者などいなかった。
チェックインしたが、眠れなかった。眠れるはずがない。
高ぶった神経は私を眠りにはつかせなかった。
もう遅い時間だと知りながら、私は上司に連絡を入れた。
上司は深夜にもかかわらず私のために起きていてくれたのだ。
こんな時間まで、私を気遣って起きていてくれた上司には感謝の念しかない。ありがたいことだ。
朝方に戻って連絡をする旨を伝え、ベッドに再び入った。
眠れず時間だけが過ぎて行く。
頭の中は憎しみと自責の念ばかり。
耐えがたい時間だった。
同室の父も同様に眠れなかったようだ。
あたりまえだろう。眠れるはずもない。
結局一睡もせずに、会社に赴くことにした。
父から急に呼んですまんと、レンタカー代を貰った。
別に気にすることないのにと思ったが、ありがたく受け取った。
車を走らせ、ショップにレンタカーを返却し、徒歩で会社に向かう。
上司に対面し、個室で話を聞くということになり、談話室へ。
「ヤマさん、大丈夫か?よぅもどってこれたな。なんじゃ、目が死んどるぞ?まぁ無理もないな・・・。」
優しい言葉に少し安堵した。
同僚たちも心配して声をかけてくれた。
元々いた自分の現実。自分の世界。
帰属していたコミュニティーに帰ってきた安心感。
それを感じた瞬間に、私の目から涙が零れ落ちた。
こういう時は優しくされると涙もろくなってしまうものだ。
上司、さらにその上の上司と話をした結果、忌引き休暇と、特別休暇で一ヶ月ほど仕事を休むこととなった。
さらに上の上司は、「何ならもっと休んでもいいぞ?一ヶ月で大丈夫か?」と言ってくれたが、私は丁重に断った。
働きたかった。働いて働いて考える時間がないくらい働きたかった。
その後、会社に放置してあったロードバイクを回収し、自宅に戻った。
妻と娘たちに起こったことをありのままに説明する。
涙する妻。
子供たちも、幼いながらに「おばあちゃんがいなくなった」と認識したのだろう。
グズグズと鼻を鳴らしながら泣いていた。
その日一日は自宅で過ごすことになり、翌日からは現場検証、葬儀の準備等で実家に戻ることになっていた。
このころから、私の体調に異変が出始めていた。
放心状態、死にたくなるような気持ち。
そんな気持ちが心の中に芽生え始めた。
翌朝、実家に帰る準備をし、新幹線に乗った。
地獄のような光景を目の当たりにするとも知らずに。

現場検証
新幹線を降りた私は、電車とバスを乗り継ぎ、急ぎ実家へ。
田舎なので電車が1時間に一本、バスも1時間に一本しかない。
焦る私にはイライラさせられる時間だった。
一刻の猶予も惜しい。急ぎ実家に向かいたい。
この目で現状を確認したい。
焦る心ばかりが膨れ上がっていく。
待っている間私はイライラと歩き回っていた。
ようやく来た電車に乗り、一駅先の実家の最寄り駅へ。
最寄り駅と言っても実家まで10キロはある。
タクシーなんて一台も見当たらない。
またしても待ち時間で足止めを食うことになる。
数十分待ってやっとバスに乗った。
バスが停留所で停車するのも苛立たしい程に苛立っている。
ようやくバスが実家の目の前のバス停に到着する。
バスを降りた瞬間に愕然とした。
家の周りにぐるっと張り巡らされた規制線。
実家を取り囲む警察官。
物々しい雰囲気に気圧された。
さらにその周囲を囲むマスコミの報道陣。

何人いただろうか、それこそ警察の警備の周りをぐるっと囲むようにカメラとマイクを持った人間がいた。
バスを降りて現れた私にマスコミの一人が声をかける。
「ご親族の方ですか?何か一言いただけませんか?」
なんて無神経な奴らだ。もともとマスコミ報道陣が嫌いな私は頭にきて激高した。
「ふざけるな!撮るんじゃねえよ!このクソ野郎!!」
人の不幸も飯の種なのか。
いい映像を撮るため、インタビューを得るためなら人間性など捨てるのか。
そう思うと、その小汚さ、卑しさに怒りが爆発したのだ。
普段の私が使わないであろう汚い言葉が口をついて出てきた。
実家はとあるフランチャイズの商店を経営していたのだが、看板類、店の名前がわかるものは覆い隠されているか、撤去されていた。
ものの一日でだ。事件直後に一報を聞いて一気に撤去したのだろう。
でなければこれほど早く看板類が撤去できるものか・・・。
何と仕事の早い事か。
風評被害を恐れてのことだろう。

これにも幾何かの怒りが湧いた。
でもそんなことにいちいち構ってはいられない、一刻も早く家に入らなければ・・・。
私は規制線をくぐり実家に入ろうとする。
警察官の一人が私を制止した。
「はーい、ここ立ち入り禁止ですよー。入らないでくださいねー。」
何ともやる気のない、人を小ばかにしたような口調。
警察官とはこうも横柄な態度が許される職業なのか。
あまりの態度に私は憤慨した。
私はまたも食って掛かった。
それほど心に余裕がなかったのだろう。
「親族だ!ここの長男だよ!さっさと通せ!!」
その警官はまたもあきれたように、鬱陶しげに言った。
「はいはい、わかりましたー。ではそうぞ。」
といって規制線を持ち上げくぐるように促す。
私はもうその警官に何も言う気も起きなかった。
腹は立ちはしたが、一刻も早く家に入りたかった。
家に入ると、まず目に入ったのが、尋常じゃないくらいに破壊された家の内部だった。
壁中の穴、穴、穴。
そこら中に穴が開いている。
そして玄関横の割れた姿見。
バキバキに割れて床に零れ落ちていた。
愕然としながらも、部屋で待機している父達の元へ行く。
「この家の中・・・いったい・・・」
と口を開いた私に、父が「大輔がやったんじゃ」とだけ答えた。
わかり切った質問だった。愚にもつかない質問だ。他に誰がやると言うのか。自分に呆れる。
その後、鑑識に立ち会っている宗次の元へ行き現場を見ることになる。
もう、その凄惨な光景に言葉も出なかった。
血、血、血…
争った形跡。壊れた家具。
父が大輔と格闘したのだろう。その話は父から聞いていたが、あまりの壮絶な破壊ぶりにわが目を疑った。
それほどの格闘があったのだろう。父の怪我も頷ける。
体重が100キロを超える巨漢と取っ組み合いだ、小柄な父が母を守ってやれるはずもない。
まるで現実感のない異様な光景が広がっていた。
非日常。認めたくない非日常がそこにあった。
私の頭は真っ白だった。何も考えられない。現実を受け止めきれない。
だが、これが現実なんだという認識が徐々に、確実に芽生え始める。
宗次は言葉もない。何も言えずぼーっと見ている。
当然だろう。私だってそうだった。何も言えるはずがない。
この光景を、この現実を認める事、飲み込むことで精いっぱいだ。
ふとコンロの上を見た。
鍋の中に、タケノコがゆでられているままになって放置されていた。
「そういえば大輔はタケノコ好きだったっけなぁ・・・」
回らない頭でそんなことを考えていたのを記憶している。
退院した息子のために、母は好物を用意してあげようとしていたのだろう。
そんな母を、あいつは殴りに殴って、挙句の果てに刺殺した。
それを思った瞬間に、燃え上がる黒い憎悪の炎。
憎い!憎い!殺してやりたい!
まさか自分の実の弟、一緒に育った弟を殺してやりたいと本気で思う日が来ようとは思いもしなかった。
何かが、自分の中の何かが心の中でバキッと割れるような気がした。
心の割れる音。心がえぐられ傷つく音。
そんな音を聞いた気がした。私の心が悲鳴を上げてきしむ。
鑑識が作業を終え、特殊清掃員が部屋を清掃する間、私たちも別室で待機することになった。
その間の外出は認められていたが、出られるわけがなかった。窓の外にはカメラを向けて虎視眈々とスクープを狙うマスコミ報道陣が待ち構えている。
私達は顔を取られまいとずっとカーテンを閉め切り、時折隙間から外の様子を覗き見ていた。
一向に去ろうとしないマスコミ。去らないどころか増える始末だ。
あまりの事態に警察がマスコミに対して、詳しい事情は後で公式に発表するから今は帰ってくれと言った。
警察の要請には従わざるを得なかったのか、あれだけしつこく家の周りを取り囲んでいたマスコミは帰っていった。ようやく外に出られる・・・。
作業が終わると、部屋はすっかりきれいになっていた。壊れたものはそのままだったが、あの光景が嘘のようにきれいになっていた。
私は「あの時オレがここに居れば、父に加勢していれば・・・あるいは・・・救急車をもっと早く呼べていれば・・・母は・・・」
そんな無意味な事ばかり考えて自分を責めていた。
考えたって、自分を責めたって、もう母は帰ってこないのに。
自分が悪いわけじゃないのに。
罪の意識は私の心を蝕んでいた。
着実に、ゆっくりと。
それがうつ病のトリガーだったとはその時は思いもよらなかった。
その日は実家に泊まった。
翌日から葬儀の準備があるのでしばらく家には帰れないからだ。
私は努めて気丈にふるまっていた。昔からそうだった。弱いところをみえられない。強がって強がって生きてきた。
ここでもそうだった。強がっていた。本当はボロボロなのに。
どん底まで落ち込み、イライラしている父達のために・・・そう思ってしまった私は気丈にふるまうしかなかった。いや、そうしてしまったのだ。
家の片づけをし、壊れたものを撤去し、ゴミとしてまとめ、何とかリビングを生活できる環境に戻した。
夕刻。「晩飯・・・どうする?」と宗次が言う。
父が気だるげに冷蔵庫に何か入ってるから適当に作って食べろと言う。
とても食べる気にはならなかったが、私は晩御飯の準備をした。
事件の起こったキッチンを使って。
鍋に残された母の最期の料理。捨てなければならない。捨てなければ。
私は断腸の思いで、煮詰まったタケノコを生ごみ入れに放り込む。
心がきしむ。心が痛む。
でも顔には出さない。態度にも出さない。私は強くあらねば・・・私だけは・・・。
そんな責任も義務もありはしないのに、私はそうせざるを得なかった。
そういう人間なのだ。
冷蔵庫に入っていた牛肉と、適当な野菜で肉炒めを作った。
やはり箸は進まない。父などまるで食べようとしなかったが、私と宗次で食べなきゃだめだと諭してようやく食べ始めた。
みんなで夕食を食べて、その日は早いうちに眠ることにした。
だが眠れない。頭も目も冴え切って私を眠りにつかせない。
眠れない私は、おもむろにリビングに赴く。
宗次がいた。私は宗次に声をかけた。
「眠れないのか?今日・・・お前大丈夫だったか・・・?」
「いやぁ・・・きついわ・・・。」
それはそうだろう。
またも馬鹿な質問をしてしまった。

「兄ちゃんはどうなん?大丈夫なん?」
と宗次が言う。
「オレは・・・まぁ・・・なんとかな・・・」
そんな返答をした。
何とかなっているはずがないだろうにここでも強がって見せる。
「許せんね・・・許せん・・・母さんがあんまりだ。こんな死に方ないよ。年金だってちょうどもらい始めて、店閉めて老後をって時だったのに・・・孫もできたばっかりなのに・・・。」
宗次が涙しながらそう言う。
「あぁ・・・許せんな・・・憎い。殺してやりたい・・・。」
私は悲しみよりも怒りと憎しみが先行していた。どうしようもないくらい膨れ上がっていた。その場に大輔がいたら殺していただろう。
そんな会話をしながら、タバコを一緒に吸い、気分を変えるためにお互いの近況なんかを話し合いながら、数時間を過ごした。
夜も更け切ったころ、と言うよりはもはや朝だったが。
私達はようやく眠りについた。
翌日からは通夜、葬儀の手配が始まる。
とても忙しくなるだろう。それこそみんな悲しむ暇もないくらいに。
私は未だに嘆かずにいる。嘆けばよかったのだ。誰かに縋りついて泣けばよかったのだ。甘えたって許されたはずだ。
父や宗次と同様に、嘆き悲しめば、悲しみの処理をしっかりとしていれば、私は今、うつ病になどなっていなかったろう。
これほどまで落ちぶれて、苦しんでなどいなかったろう。
後悔しかない。